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能登へ出撃!国際救助隊サンダーバード2号発進!

能登へ出撃!国際救助隊サンダーバード2号発進!

投稿日:2024年1月31日

閲覧数:256

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私が国際救助隊ならすぐに出撃します、、石川の復興を祈ります、、だけでなく、ボランティアでいく計画です。

〜新聞記事内容(福島で掲載されました)〜
福島民報へ送信→1月16日掲載

甚大災害に指定された能登半島地震。TVを前に同じ日本とは思えない被害の惨状に絶句。そして13年前の震災当時を鮮明に思い出し、涙が一気に溢れ出た。当時、津波被害の現場を目にし、いたたまれなくなり災害ボランティアに参加した。民家の庭の海砂の撤去作業。7月の真昼。ガンガン照りの暑さの中、20分に1回の給水休憩。仲間同士での励ましの言葉かけ、そして昼食時の交流。石川県から駆けつけてくれた方もいて、本当に頭が下がる思い。終わった後の晴れ晴れとした達成感、苦労を共にした仲間との交流、一杯の麦茶のそれはそれは美味しいこと。山下達郎の名曲「希望という名の光」に励まされ,全国の方々に助けられ,その後の復興が加速した福島県。石川県のボランティア募集が可能になったら恩返しも含めて出向きたいものだ。また防災意識を強く持ち,具体的な防災用品も備えていきたい。そして、どんな状況でも「希望や夢」を失わない限り、人間は前進できると信じたい。

コメント(2件)

朝やん渡辺

体験記事 能登半島地震から約5ヶ月。かねてより申し込みをしていた連泊可能なボランティア活動にようやく参加することができた。人生2回目のボランティア活動。1回目は、13年前の震災時に津波被害に遭った豊間地区。海砂撤去作業だった。今回は,能登半島地震の被災地の七尾市。ネットで事前登録をし、傷害保険,高速無料申請を済ませ、登山家の野口健さんが岡山県の総社市と連携して設営したテント村に入り、1週間ほど滞在した。(車で往復1200km、高速は無料の措置)野球場外野の芝生には100張りのテント。現地の方々は、私のようなボランティア初心者にも地元情報や炊き出しについて親切に教えてくれた。その中には自らの家が全壊した方々もいた。胸がしめつけられた。朝9時からの本部でのオリエンテーションで仕事を請け負い,1班10人にリーダー1名,保健係1名を決め,ハンマー,工具,バケツ等のニーズに合った道具をみんなで選別,軽トラック2台と2トン車1台で依頼主宅へ向かった。主な仕事は,被災されたお宅の瓦やブロックの片付け、仮置き場への運搬、集まった災害ゴミの分別作業だった。家が傾き,瓦が散乱する現場。すさまじい地震の爪痕に驚き、絶句した。壊れた屋根やブロック塀,散乱した外壁等で、土嚢袋はすぐに満杯になっていた。5月とはいえ、炎天下の中での作業は決して容易なことではなかった。常時活躍したのは無線型の最新スマホ。疑問点はリアルタイムで本部と交信し、解決できた。そんな中、作業後に縁側で「ありがとう」と微笑むおばあちゃんの顔がなによりの励みだった。正直,体力的,心理的に過酷な1週間だった。が、炊き出しの大盛りの美味しいご飯と味噌汁、仲間との団結意識でなんとか乗り越えることができた。全国から車や電車、飛行機でボランティア活動に参加された方々もいた。普段は電車の運転士をしており、「ボランティア休暇」をとってかけつけてきた青年もいた。今後、国の復興予算がつき、公費解体等の本格的な支援が進むことを願いつつ、最後は「マンパワー」の結集が何よりも鍵になるのではないかと感じた。そして,今,日本中のどこが災害に遭ってもおかしくない状況だということを強く認識し、日頃の情報共有と町内の「つながり」の大切さを肝に命じて考えさせられた。貴重な体験は,人生に中の大きな収穫になった。能登の復興がさらに加速することを祈るばかりだ。

2024-08-14 13:26:32

ゆうちゃん

人と人、助け合うことで生きているんですよね。こうして災害があると絆を再確認しますね。 サンダーバード号で、一人でも多くの人を救いたいという気持ち、よくわかります。

2024-02-09 00:37:40

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